
「神戸 BREADMAN」
水野真吾さん「受け継がれるのには、理由がある」
スペシャルインタビュー vol.2
父がパン屋を作った、
この地で笑顔の集まるパン屋を作る
受け継がれていく本物にインタビューをする企画の第2弾は、日本一パン屋の多い街と言われる神戸で、父親のパン屋を新しいスタイルで受け継いだ「BREADMAN」の水野真吾さんにお話しを伺いました。

僕がパン屋を継ごうと考えるようになったのは、父から「継いで欲しい」という電話を受けたことからでした。
当時は、東京で音楽イベントなどを行う会社で働いていたので、相談された時は、継ごうという気持ちにはなれませんでした。
しかし時間をかけて父の気持ちを考えていくうちに、19歳の時に勢いで実家を飛び出し東京に出た自分ができる最後の親孝行かなと思うようになり、パン屋を継ぐことを決心しました。

パン屋を志すことを本気で考え始めた当時は、昔ながらのまちパンだけでなく、ハード系のパンが人気になり始めた頃で、代々木上原のルヴァンというお店がフジロックなど野外フェスでカンパーニュを販売し、話題になっていました。
「まずは自分にできることから始めよう」と思い、人気店・有名店を中心にパン屋を巡りました。何件か覚えていないくらいたくさんのパン屋を巡っているうちに、三軒茶屋にあるシニフィアン シニフィエというパン屋さんに出会ったんです。
そのパン屋さんにあった、通常のパン屋よりも水分量の多い高加水で作ったチャパタ(※1)というパンが本当に美味しく、衝撃を受けました。
※1) チャパタとは、イタリアのロンバルディア地方が発祥といわれる伝統的なパン
そのお店で修行させていただきたかったのですが、有名店なので採用してもらうことは難しく、独学で高加水パンの勉強を始めました。
その後も勉強を続けながら、イベント会社からパン屋さんに転職し、東京で2件、地元神戸に戻って1件と、計3件のパン屋さんで修行しました。

神戸は、港文化もあると思うのですが、フランスパン発祥の地と言われ、パン屋さんが日本で一番多いと言われています。パン文化が昔から脈々と受け継がれている一方で、継ぎ手が少ないという課題もありました。競争の激しいこの街では、思いをこめてパンを作るだけでは生き残っていくことが難しく、勝負できる強みがなければと考えた時に、チャパタで受けたあの衝撃を伝えたく、高加水のパンを売りにするパン屋を作ろうと考えました。
神戸で修行を続ける中、父の体調が悪くなっていく様をそばで見ることで、独立を決意。
「父が生きているうちに、父がパン屋を作ったこの地で、パン屋を復活させたい」そんな思いから、クラウドファウンディングをはじめました。
友人や僕の思いを汲み取ってくれた皆様の支援もあり、父が生きているうちに BREADMANを開業することができました。

BREADMAN では、食パンをメインに、パンペイザン(※2)を中心としたハード系のパンや、クロワッサン、カヌレ、クロックムッシュなどの定番からトレンドを押さえた惣菜パンまで、まちパン屋のような幅広いパンを提供しています。
※2)パンペイザンとは、農夫のパンと訳される、小麦、ライ麦、グラハム粉を使ったパン
父の作ったパンも残したく、父のレシピのイギリスパンを、高加水でつくる新しいスタイルにアレンジして提供しています。
この土地で新しくお店を始めるということで意識したのは、最後に働いていた地元神戸のthe bakeのような空間を作りたいということです。
昼はパン屋さんを営み、夕方に焼き菓子系とキッシュを焼いた後は、お酒が飲めるバーになるような楽しい空間でした。
皆さんに支援してもらい作れたお店ということもあり、ただパンを販売するだけでなく、みんなに楽しんでもらえるようなお店にしたかったんです。

この場所は住宅街の中にお店を構えているのですが、この地域に目を向けてみると、カカオからチョコレートを作っているシオヤチョコレートさんという一風変わったチョコレート屋さんや、朝採れのとうもろこしを提供してくれる芦田農園さんという農家さんもあります。この土地に根ざしている人が作った大切な食材を使うことで、この地域でしか提供できない美味しいパンも提供しています。
今は、父がパン屋を作ったこの場所に、楽しい気持ちになれる美味しいパン屋を残していければと思っています。